《古書・古本の出張買取》 京都・全適堂 の日記
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「氣の呼吸法セミナー」受講の感想
2017.12.15
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11月から全4回行われた「氣の呼吸法」セミナーが終了。
心身統一合氣道協会にて。
受講者はずっと私一人だけ。
静坐の参考になるかと思い参加した。
写真の本の内容を大まかに行うが、とくに目新しいことはなし。
ただ、息を吐いていくときに減っていく吐く量を「1/2 1/2 1/2・・・」と無限小に見ていくのは有効だと思った。
息を滞らせることなく、宇宙へ消えていく、氣を流していく。最後に3つほど数える間があって波のように吸気に移る。
吸うときも同様に後頭部へと向かい、無限小の彼方へと。また3つ数えるほどの間があって呼気に移る。
1/2に反応したのは、より今を味わう方法として有効だと、昔にギリシャ哲学の「ゼノンのパラドックス」から発想したからだった。
飛んでいる矢は的に当たらないのは、的まで達するにはその半分までの距離を行かねばならず、そのためにはまたその半分まで行かねばならず、とやっているといつまでたっても辿り着けない。このパラドックスは馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでだが、今を深く味わうという点において見ると示唆するところは大きい。
バイオリンの初心者は弓の上げ下げが雑だが、プロはじわっと永遠の時間のように弓を上げ下げする。
もう一つ、落ち着こうとすると逆に身体が軽くなってしまうという実験がある。
腰を上げてから正座をすると自然に落ち着いて膝を持っても上がらない。
しかし、落ち着こうと意識すると膝が簡単に浮いてしまう。
著者の藤平さんはとりあえずの説明をしていたようだが、私から言わせると作用・反作用。
力んで押せば押し返される。地球と仲良くすればしっかりひっついていられるということなのだと思う。
立つのも踵を上げてから下ろすと自然と重心が定まる。
ニュートラルな状態をこうやってつかんでいくことが大事だろう。
言うは易く、行うは難しではあるが楽しみとしてやっていきたい。
無理のない状態のために無理するのは本末転倒だから。
老子曰く「無為自然」。
ちなみに氣と書くのは気は〆ではなく、放射状に発せられるものだから。
気のせいとか、気の持ちようというのは頼りなさそうな表現だが、実際、氣は心が生み出すもの。どうせなら氣を自然に取り入れ、自然に流していきたいものである。