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《古書・古本の出張買取》 京都・全適堂 の日記

俳句といじめ

2013.07.03

 いじめられ行きたし行けぬ春の雨

『ランドセル俳人の五・七・五』(ブックマン社)の著者、11歳の小林凛の句。
本名ではなく、俳号で、好きな小林一茶から苗字を拝借したとのこと。

身体的なことで凄絶ないじめを受け、不登校となる。
8歳から俳句を詠み始め、朝日俳壇に掲載されるなど、小学生らしからぬ完成度、格調の高さで評判になる。

8歳から11歳までの句が掲載されており、粒ぞろいの心に染みる句が満載だ。
大人もほとんど備えていない、余情を抱き取る感性が豊かなのがはっきり見てとれる。

凛君のお母さんが、
「俳句は、余情・余韻の文学と書いてあるけど、この意味わかる?」と聞くと、
「お寺の鐘がゴーンと鳴って、うわんうわんと響くだろ? それが心に残ること」と答える。
句も浮かばないときもあるだろうが、すっと即答する頭のよさに驚かされる。

三年生の夏休みに、凛君が蝉の抜殻を集めて居間に飾っていた。
それをおばあちゃんが、目玉が気持ち悪いから捨ててくれと言って押し問答になる。
おばあちゃんが譲歩して、「一句出たら置いといてもいいいよ。」と言うと、即興で、

 抜殻や声なき蝉の贈りもの

と詠んだということだ。まったく、恐れ入る。

大人でもたいていは紋切り型の言葉しか持ち合わせていないなか、凛君は自分の言葉をすでに持っている。
俳句があるからいじめと闘えたと凛君は言うが、言葉は整理して使えば、状況を俯瞰して見ることができるようになる。つまり、現状に執着しなくなる。学校がすべてではない。

担任の教師の無理解についても書かれてあるが、教員の多くも普通の大人と同じで、紋切り型の感性しか備えていないので、仕方がない。
いじめの中で、無視がいちばん辛いと言われることがある。
しかし、暴力として命に関わる危険性はないし、生徒や教師からも放っておいてくれたら、学校にはなんとか通えていただろう。暴力は自分の問題ではないが、無視は自分のなかで消化できる。

1年間だけ、教員をしていたことがある。
気を利かして、他の教員が黒板の上に「みんな なかよし」という紙を張ってくれていた。
教室にはじめて入り、いちばん最初にその掲示を剥がした。
嫌なら極力関わらなければいい。無理に仲良くなる必要はない。無視はOKと教育現場が受け入れられればいいが、建前が幅を利かしている。なんにせよ、命を脅かす暴力は論外だ。

言葉は、自分を、世界を確認するためにある。
彼の掲載句はどれもいいが、その中であえていくつか選んでみた。

 秋晴れの心の晴れぬいじめかな

 半月や静かな海はどこにある

 乳歯抜けすうすう抜ける秋の風

 紅葉で神が染めたる天地かな

 句作とは苦しみの苦や外は雪

 北風や水面の月のかき消され

 夕日射し冬の一日を回収す

 ぬかるみに車輪とられて春半分

 形なし音なしけれど原爆忌

 生まれしを幸かと聞かれ春の宵

 ゆっくりと花びらになる蝶々かな

大家と呼ばれる方々の句は難しいものが多いが、凛君の句は、俳句の原点を見せてくれるような、すっとした余情を味あわせてくれる。ユーモアのあるものもある。
6年生になって登校を再開したそうだが、学校へ行かなくても、実は何とでもなる。学校では教えられないもっとも大切な感性、思考力を存分に生かしてほしい。俳句好きの一人として、稀有なる才能を心から応援したい。

俳句といじめ

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