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間を空ける-映画「世界の果ての通学路」

2014.05.02

京都シネマにて、「世界の果ての通学路」鑑賞。
見る前からおもしろいことを確信し、見終わった後もその通りであったと確認し。

フランス人監督が野生動物の映画を撮っていたところ、マサイ族の子どもが走ってきた。
2時間走って学校に通うのだと言い、授業に遅れるからと走り去っていったのに衝撃を受けて撮影された映画。
ケニアのジャクソン君、アルゼンチンのカルロス君、モロッコのザヒラちゃん、インドのサミュエル君の4人の登校を取り上げる。

ジャクソン君は妹を連れて、片道15キロを2時間かけて通う。
ただ通うだけでなく、命がけの登校。
キリンや象の群れを避けながら道なき道をゆく。
奨学金をもらい、パイロットの夢を持つ。

カルロス君は山羊の番をした後、これも妹を連れて馬で登校。
18キロを1時間半かけて。
ジャクソン君もそうだが、妹思い。
妹のミカちゃんが鞍の前に乗せてほしいとせがみ、「お母さんにはないしょだぞ。」と言って乗せてあげる。ミカちゃんのうれしそうな顔といったら。
砂利の滑りやすい坂も馬で下りてゆく。一ノ谷の義経も感心するのでは。
地元に残り、獣医になりたいと言う。

ザヒラちゃんは、片道22キロを4時間かけて友人2人と登校。
子どもに学問をさせることが重要ではなかった地域だが、家族総出で彼女を応援。
足を痛めた友人を励ましながら、車を捕まえてヒッチハイク。
山羊たちと一緒に荷台に乗る。
学校に遅れるのにと思いながら、運転手たちは礼拝の時間が来ると車から降りてモスクに向かて礼拝。
医師になる夢がある。

サミュエル君は足が悪く、車椅子に乗る。
片道4キロを1時間15分かけて登校。2人の弟がサミュエル君を助ける。
悪路をしかもぼろっちい車椅子。いつ壊れるかと思ってみていたら、案の定タイヤが外れる。
しかし、3人のユーモアあふれる会話に和まされる。
サミュエル君も自分と同じような障害を持つ子のために医師になりたいと言う。

登場するどの子もすばらしい魅力を持っています。
なかなか全部が全部そう思わせるキャスティングはないもの。

実は、中国とオーストラリアの子どものキャスティングも考えていたようですが、中国は建前上、教育環境に問題はないとするため、撮影には前向きではなかったそうです。
また、オーストラリアでは学校から700キロも離れており、通うことはできないため、飛行機で教材が届けられ、インターネットで勉強する。
しかし、その子たちは自発的に学ぶのではなく、与えられたからするという日本の子どもと変わらなかったようです。

ここから考えさせられるのは、対象にアクセスするまでの距離、間を空けることの大切さでしょう。
われわれは瞬時にネット上で情報を得、買い物ができ、ボタン1つで音楽が聴け、洗濯ができる。
昔は本屋を足を棒にしながら歩き、ようやく本を探し当てたときの喜びは格別なものがありましたが、今は渉猟という言葉を聞くことはありません。
私がレコードを聴いているのも、音質はさることながら、盤をプレーヤーに置いて針を乗せる、この一連の儀式が聴く心構えを作るからです。ボタン1つでは準備が調わないうちに音が出てしまう。

元広島カープの前田智徳選手が、打撃でのテイクバック、スイングともに遅ければ遅いほどいいとインタビューでたどたどしく語ってたのも思い出します。
これも、ボールにアクセスするのが早く、スイングも速ければ打球はより飛ぶからいいのではと思いがちですが、そうではなく、より間を感じることで瞬間を長く味わうことができ、そのためにボールに対してこちらの自由度も上がるということなのでしょう。

毎日新聞の朝刊にスマホからガラケーに戻して新たな発見があったとい女子中学生の記事がありました。
これも、スマホほどの機能のないガラケーに戻すことによって、落ち着きのない画面操作をすることが少なくなったせいでしょう。
ひとつ前の流れに戻ってみることで、見えないことも見えてくるということを経験したと彼女は述べています。

便利さを追究することは、開発者にとってはおもしろいことでしょう。
行き着くところはどこでもドアで、開けたらすぐ目的地。
ですが、どこでもドアは旅のおもしろさを感じさせてくれることはありません。
便利さを否定するのではなく、少し歩を緩め、間を空けて間を味わってみる。
そのことで便利であることのありがたさも感じられるようになるのでしょう。

映画の子どもたちは毎日が大冒険。
かたや、先進国になればなるほど、わが子の無事を祈る気持ちが行き過ぎて通学路に監視カメラを設置という動きになってくる。
おそらく文明が進み、経済が発達すれば映画の子どもたちの親もそうしたがるかもしれない。
しかし、その結果失うものも大きい。

温故知新。



写真は京大の吉田寮の山羊の母子。
子ヤギは生まれてひと月。
いい写真が撮れたと自画自賛しております。

間を空ける-映画「世界の果ての通学路」

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