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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

文化という鎮魂

2015.08.08

先日、白藤の滝を見に伊賀まで行きましたが、今回は松尾芭蕉ゆかりの場所をめぐるためにふたたび伊賀へ。
1時間程度なので、京都からでも意外に近い。

はじめは芭蕉翁記念館。
上野公園内にあり、駐車場もいっぱいで子ども連れも多かったのですが、この記念館には誰もおらず。伊賀上野城や忍者屋敷にみな行くのでしょう。
与謝蕪村の描いた釈迦涅槃図を模した芭蕉涅槃図はなかなかのユーモアセンス。芭蕉のまわりを弟子たちが取り囲んでいる。
芭蕉筆の「自然」の文字もかっちりしていていい。
また、弟子の俳画に「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」の句を添えているものがすばらしい。
滝の絵と俳句が絶妙にマッチしていて素敵です。

つぎは芭蕉翁生家。
もちろん、江戸時代から残されているわけではなく、昭和初期に再建されたもの。
伊賀は小京都を意識したこともあり、うなぎの寝床のような京都らしい家でした。
奥の釣月軒は、処女句集『貝おほひ』を執筆したところとされ、シンプルなつくりの庵はじつにうらやましい。こんな庵がほしい。
「古里や臍のをに泣としのくれ」の句碑も。
古里に帰ってきた芭蕉が、亡き母がとっておいた自分の臍の緒を見て泣いている。
年の暮れの季語がまた泣かせます。
生家を出たところで、入り口を撮影。これも京都から来られた初老の男性が、「目のつけ所が違う」となにか誉めていただきました。
ここはつっこまなければならんでしょう。なぜって、入り口に「松尾」の表札がかかっているのですから(写真)。今も普通に住んでいるかのよう。

最後は蓑虫庵。
生家から徒歩20分弱。
前の道を工事していたのですが、人通りがほとんどないところ。
交通整理のおじさんたちがあまりに暇なのか、ほとんど見えているのに庵まで連れて行ってくれる。ちなみに、帰りも反対側のおじさんが話しかけてきて、道案内をしてくれる。
蓑虫庵は芭蕉五庵のうち残っている唯一のものだということ。
ここも誰もおらず、職員の方が逐一ていねいに案内してくださいました。
ただ、近代化されすぎていて、茶室も今の台所がセッティングされていて風情に欠ける。
茅葺きの屋根にはあこや貝だったかの貝殻が2枚載せてあります。
きらきら反射するので鳥よけと海のものということで魔よけの意味があるそうです。
落葉が多いので朝4時間くらい掃除するんですと。
もっとも有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑の下に蛙が池に飛び込む直前の姿が描かれているのですが、飛び込んでいないのにすでに池に水輪ができている・・・・・・。

ほとんど人の来ない施設に採算のまったく合わない予算をつぎこんでいる。
単体だけ見れば大赤字にもかかわらず、なぜこういうものを大事にするのか。
やはり、忍者屋敷だけでは重さがない。単なるアミューズメントパークに過ぎず、芭蕉には興味はなくても芭蕉の町という文化的アイデンティティーが必要なのでしょう。
文化は落ち着きをもたらす鎮魂作用がある。芭蕉めぐりをしているともっともそのことが感じられました。
文化を生み出す本がそもそも自らの魂を鎮めること。
俳句を詠むのも、感動して魂振り状態になった魂を鎮めるため。
形にするというのは鎮魂の作業なのです。
作者は鎮魂するからまた次へ意識を向けられる。芸術家でも作品を作ってしまったら後は無頓着と言う人が多い。これは鎮魂し終わったからそういうことになるわけです。
また違うものに魂を揺さぶられ、それゆえに魂鎮めをする。その繰り返し。
作品を見た人はその作品によって魂を揺さぶられ、自らの別の形で鎮魂を行なう。
それは単に人に話したり、文章に書いたりすることでも成し遂げられる。今のこの文章も私なりの鎮魂作業をしているのです。
ただし、町は鎮魂されてもそれによって魂振りされる魂が現れなければ文化は色あせてしまう。
しっかり反応できるだけの感性がないと「偉い人でした」で終わり、文化の発展はない。
ほとんど人の来ない文化施設に予算をつぎこむことはうれしいことではありますが、それだけでは文化遺産にあぐらをかいているだけになってしまいます。
芭蕉の生涯、作品を見て、誉めるでもけなすでもどちらでもいいのですが、現代の我々がそれに揺さぶられる感性を持っていなければならない。
それがあれば、単に俳聖と祀り上げ、自己のあり方とリンクさせないような関わり方はしないでしょう。

文化は鎮魂であり、鎮魂された文化は魂振りされた魂によって違う形で文化をまた生み出していく。これが人間の営みの根幹であると強く思い至ったしだいです。

ちなみに芭蕉翁と呼びますが、没年は51歳。現代では初老のうちにも入りませんね。


 貸本の文字消え入らん炎天下

 天空の地震無音なる稲光

 芭蕉の葉そよがぬほどの風そよぐ

 安くなく甘くなく文月の梨

 夏の月見上げ股割赤信号

 雷鳴に馬のいななきやや遅れ

文化という鎮魂

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