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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

仏像の前の仏

2015.08.17

「薬師寺東院堂の観音像は世界無比の傑作である」(岡田虎二郎)

ふとこの言葉を思い立ち、薬師寺に行ってきました。
東院堂の観音像とは、白鳳時代に作られた聖観世音菩薩像のこと。(写真:薬師寺で購入したクリアファイル)
写真では見たことはあり、近くの唐招提寺にも行ったことがあるもののなぜかこれまで薬師寺には行ったことがありませんでした。

さあ、着いた。
仏像とご対面・・・ ん? たしかに仏像はありましたが「レプリカ」とある。
今は奈良国立博物館で行なわれている白鳳展に月光菩薩像とともに出張中だとか。
まあ、それでも実によくできたレプリカではあります。
身体の重心が偏らない身体バランス、柔和な顔で、鳩尾がへこみ、下腹がしっかりしているのがよい仏像の条件でしょう。

そもそも釈尊亡き後、100年だか200年だかは仏像が作られない時期がありました。
また、イスラム教では偶像崇拝を禁じ、仏像を破壊するなど極端な原理主義も見受けられます。
そもそも像を拝むということは外なる対象を作り出してそれを大事にするため、自分の内面がおろそかになる。自己を灯火とせよと釈尊は言いましたが、もっとも肝心なその点に背くことになる。
自分を知る道というのは実にしんどいものですから仏を敬っていると言いつつ、形だけの仏を崇めるということになりやすい。

最近はそうでもないですが、以前はよく寺に行っては仏像と会っていました。
一般的には仏像は信仰の対象というより美術品としての鑑賞といった面が現代では強いでしょう。白鳳展も本来は寺にあるべき仏像がガラスケースに並べられてしまうのはそのため。美術館や博物館で恭しく尊顔を拝すなどということ難しいのではないでしょうか。
やはり、仏像は寺にあって、寺が大切にしているもの。両者は不可分です。
それはさておき、これまでにたくさんのすばらしい仏像と出会ってきました。
筆頭は広隆寺の弥勒菩薩像、法華寺や渡岸寺の十一面観音像、法隆寺夢殿の救世観音像、横蔵寺の大日如来像などなど。名もなき道端のお地蔵さんにもすばらしいものが多い。
で、見事な作りであればあるほど、私は仏が鏡であることを実感します。
つまり、見事な仏像であるほど、私は自分が仏であることを実感する。仏像の前に立っているのは仏である、そのことを感じるために仏像に出会ってきたのかも知れません。
仏像を鑑賞することは仏像が対象となれば美術品であったり、偶像崇拝であったりする。
しかし、対象ではなくなれば仏像は破壊すべきものではなく、釈尊の教えに背くものでもまたないのであります。

寺にあるから仏像とは言うものの、せっかくなので白鳳展を見に行こうとしましたが、そういえば今日は月曜日。美術館・博物館は一般的に休館日なのでした。
「仏に会えば仏を殺せ」は臨済禅師ですが、仏が仏であるかぎりは殺し続けなければならない。
仏に会うとは自分に会うこと、自分に会うとは仏に会うこと。仏という自分に会える悦びを仏像はもたらしてくれます。
京都の観光客でごったがえした寺ではなく、京都でも人の少ない寺、または広い奈良の静かな寺でひと時を過ごされることをお勧めします。
昨日は五山の送り火でしたが、祇園祭といい荒れ狂った宗教行事の中に入るより、静かに刺激のないところで自己を味わうことこそ宗教組織や宗派の生まれる前から存在する宗教心である、そう私は確信しています。

仏教はもちろん、宗教全般、寺院建築、仏像などの専門書の買取りいたしております。
京都はもちろん、奈良にも出張いたします。


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仏像の前の仏

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