《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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緊張と弛緩の練習
2015.10.18
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緊張しっぱなしでも、逆に弛緩しすぎても状態としては偏っています。
実は緊張は弛緩のためにあり、弛緩はまた緊張のためにある。
緊張と弛緩は適度に交互に繰り返され、緊張の中に弛緩もあり、弛緩の中にも緊張がある。
ガチガチの緊張では遊びがないので、次なる弛緩も十分には行えず、腹の力が抜けきった弛緩では次なる緊張もうまくいかない。
難しいことではありますが、動中静、静中動とはこの意味でしょう。
動は静をはらんでいるから、しっかりした静に移行することができ、その逆もまた然り。
すでにお気づきかもしれませんが、呼吸とはまさにこういった営みであります。
静坐はつねに呼吸は繰り返しでありながら、惰性で行うのではない。
ひと呼吸ひと呼吸が新たなるものであり、意識的に行われるべきもの。
ひと呼吸、ひと呼吸が一期一会なのです。
静坐創始者の岡田虎二郎氏が「抜け目のない人間になる。」と言ったのもこのことで、意識的な緊張弛緩が繰り返されることは意識的である練習をしていると言えます。
呼吸に関しては釈迦も説き、一生かかっても完成ということはない修養でありますから、それゆえに妙味もあるというものです。
吐く息は弛緩を含んだ緊張です。腹に力が入っていくわけですが、ガチガチの緊張でそこに弛緩という遊びがないと、次の弛緩がスムーズにいかず、心地よくない。
緊張は弛緩という快に向かって行われるので、緊張は不快ではなくなる。
吸う息は緊張を含んだ弛緩です。弛緩も次の緊張に向かっているので適度な緊張感をもっている。心地いい緊張に向かってのことなので、これもやはり快に向かっている。
なかなかスムーズにはいかないものですが、意識的になるのに準備はいらず、いつでもどこでもつねに行っていられるものです。つねに練習ができる。
静坐と相乗効果をもたらしている真向法という体操を続けていることも紹介しました。
体操も身体をやわらかくするのが目的のように思われています。もちろんやわらかいに越したことはないし、もちろんやわらかくなりますが、静坐と同じく緊張と弛緩の練習をしていると捉えるほうがいいのではないでしょうか。やわらかいというのは見た目でわかるだけのこと。伸ばしたり縮めたりするのはやはり呼吸であり、体とともに呼吸の練習をしているだけのことなのです。呼吸がやわらかくなれば身体もやわらかくなる。
その本質はやはり軌を一にしていているのです。
続けているものの一つである乗馬もまた同じく軌を一にしています。
なかなか上達は難しいのですが、馬のリズムに合わせて緊張と緩和を繰り返す。
こちらの意向を馬に伝えながらですからなおのこと。
馬を御すると言いますが、馬よりもまず自分自身を御すること。自身を御するレベルに比例して馬も御することができる。そういうものだと思います。いくら青筋立てて馬に動けと言っても、それはお門違いでこちらが疲れてしまうだけ。
こういったものを続けていくうちに、ポイントとなるのは、動きそのものをゆっくり味わうということになるだろうと思い至りました。
すぐに次の行為に移るのは意識的ではありません。時間をさらにかけるというよりは、行為にかける時間は同じでも、その時間をじっくり味わうということ。
これを学ぶのはもちろん、まずは自分自身に学ぶのですが、どんな達人と言われる人よりも見事に味わっているのが山羊。
看板ヤギでもあるうしおと毎日一緒に過ごしていて、やはり私にとって唯一とも言える師匠なのだと感じています。師匠ですが、叱ることもあるしかわいがりもする。一般には奇妙に見えるかもしれませんが、禅の師弟関係のようで関係は双方向。
動画をアップしました。
・ミニヤギうしお 一心無心
https://www.youtube.com/watch?v=7hGb-qKfmVM
無心とは一心のことなり。さすがは師匠。
大量の買取の整理がひと段落つき、本をきれいにしていく作業が中心になっています。怪人本拭き男となってただひたすら、一心無心に本を拭く。
写真は保護して育てているフクロウに会わせてもらい撮りました。
フクロウもまたヤギと同じく、深い存在感を漂わせています。
フクロウも十分に飼育できることがわかったものの、糞尿が落ちても大丈夫な場所を確保しなければならない。夜行性なので夜鳴きもあるし。
そういう点では、ヤギはやはり飼いやすい動物です。
