《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 | 日記 | 真向法の誕生 大いなる勘違い

◎近畿一円、出張いたします。 一般書から学術書・専門書、現代から江戸(和本)まで。

Top >  日記 > 真向法の誕生 大いなる勘違い

《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

真向法の誕生 大いなる勘違い

2015.11.05

乗馬3年、静坐2年、真向法1年と続いています。 いつも書いていることですが、これらはそれぞれが化学反応を生むというよりは、それぞれが相乗効果を生んでくれています。どれも意識すべきところは共通していますから。

今回は真向法が生まれた経緯と、実はそれが大いなる勘違いであったことを示してみようと思います。 80年前に生まれたこの体操は4つからなるシンプルなもので、最初は第一体操のみでした。 創始者の長井津(わたる)氏が事業は成功したものの重い病に倒れ、救いを求めたのが実家の勝鬘寺の名前の由来である経典、勝鬘経でした。 勝鬘経は聖徳太子がその注釈を書いていることで多少知られてはいますが、ことさら熱心に学ぼうというお経では現在はありません。勝鬘経は在家の勝鬘夫人が釈尊の許しを得て教えを説いたもの。女帝だった推古天皇の摂政であった太子が推古天皇のために説いたと言われています。女性が説いたお経なので天皇にふさわしいと思ったのでしょう。 長井氏の子息洞(はるか)氏の著書『真向一途』によると、 「何日目か何ケ月目かにやっと序説が終ろうとした所に「勝鬘及一家眷属頭面接足礼」と書いてある。理解力の豊かな読書人ならば、「愈々お釈迦様がお出ましになり、女弟子の勝鬘夫人やその家族縁者が、頭を足まで下げてお辞儀をしたのだなあ」と釈尊の教えそのものには直接何の関係もない単なるお辞儀であるから素読し過ぎる個所である。(略)父は、「待てよ、立ってお辞儀をしたのでは、頭は脚部には接するかも知らんが足に接することは不可能じゃないか」と思った。これはお釈迦さんが勝鬘夫人の家にいらっしゃったのだろうから、室内の礼であり、恐らく座拝にちがいないと推測される。」 とあり、学者や宗教家にただしやらして、やっとこれに間違いないと納得する形が第一体操だったと。 第一体操は足裏の外側を合わせ、膝を広げてお辞儀する姿勢です、学者たちにただしたとありますが、いったい誰に聞いたのでしょうか。古代インドでこのような座拝の形があったかどうか、調べてみましたがわかりませんでした。正直なところ、普通に考えれば、頭面接足礼は頭面を自分の足にではなく、跪いてからお釈迦さんの足につけておみ足を頂いたと取るのではないでしょうか。 長井氏は、どうも最初から足が自分以外の足であるという想定がなかったようです。 仏教コミックスの『家庭のお経』(すずき出版)の中の勝鬘経のそのシーンでも、勝鬘夫人は私の述べたように、跪いて頭面をお釈迦さんの足につけています。 DSC_1438 『日本の名著2 聖徳太子』(中央公論社)の「勝鬘経義疏」にも「『み足に接して礼し』とは、釈尊が空中におられたけれども、夫人は、ふだんのように、両手で釈尊のみ足をとり、頭面をそのみ足に接して礼拝する態度を示し、敬意を表したのである。実際におもむいて、直接ふれたのではない。」とありますし、そのほかの勝鬘経の注釈や経典にも自分の足に頭面をつけたという記述は見たことがありません。 お寺に聞いてみましたが、知らないと言われました。 真向法の本部に聞いても詳しい方はおらず、「そんなことを考えずに体操を続けたらいかですか?」と言われました。これは想定していたところではありますが、残念な対応です。 人は自分に興味のないことは大したことではないと思いがちです。長井氏が治癒し、多くの人にも効果があったせいもあるでしょう、80年もの間、誰も指摘する人はいなかったのか、長井氏の言うことがそのまま信じられてきたようです。体操を行う人は仏典には関心が低かったということもあるでしょう。仏典に関心がある人は身体に関心が薄い傾向があるように思われますし、両者ともに関心が高いという人は少ない。ここに訂正されなかった原因があるのかもしれません。 私は間違っているのがいけない、と言っているわけではありません。病を治そうと必死になってすがって読み違えはしましたが、勘違いは大いなる勘違い、偉大なる勘違いであったということが言いたかったのです。そのことに感動したのです。 ノーベル賞をとった科学の実験でも、失敗から生まれたというのはよく聞くところ。勘違いながら熱心に謙虚に行ったのが偉大な体操の発見という成果を生みました。

「念仏体操」「昭和体操」など、名称が次々変更された真向法が真向法となったのは、戦後、長井氏が詠んだこの歌でした。 真澄空ただみ一つの御光を真向仰げ四方のとも人 まっすぐに正面を向いてまっすぐな気持ちで行う。真向法の4つの体操はすべてシンメトリー。体幹を鍛えてくれるものです。身体がやわらかくなる体操と思われがちで、もちろん柔軟性は大切ですが、それ以上に私には丹田に力が入り、曲げて戻すという動作が体幹をしっかりしてくれているように感じられます。曲げる動作を主としがちで、私もそうでしたが、戻す動作のほうをより意識するようになりました。やわらかくなるというのが一義だと戻すのは重視されないでしょう。最初に述べたように、乗馬や静坐との相乗効果で気づけたことです。

1年たってこんな感じ。この座拝の勘違いから生まれた真向法。 地味な体操ですが、4つだけなのですぐに覚えられ、それでいて工夫に終わりがない。地味に続けるというのはなかなかいいものです。 勘違い、勘違いと言ってきましたが、実際に古代インドの座拝は第一体操のようであったという文献なり、絵がございましたら、お教えください。すぐに訂正いたします。

真向法の誕生 大いなる勘違い

日記一覧へ戻る

【PR】  キムチのゆう  介護タクシー アイキャブ  くぼた神居整骨院  お好み村 たけのこ  アウトドア・宿 マンディル