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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

硬さをじわあっと味わう

2015.11.30

私が修養の三本柱と呼んでいる、静坐・乗馬・真向法のうち体操と呼ばれるのは真向法です。 静坐も呼吸筋を柔軟にするので、第0体操と個人的には呼んでみてもいいと思います。が、ともかく身体を柔軟にする体操だと思われています。

間違いではないのですが、柔軟にすることそのものが目的ではないと私は思っています。 体操を始める前よりはいくらか柔軟性は増したと感じていますが、まだまだ硬く、やればやるほど硬さを見つけ出してしまいます。 実はこれこそが体操をやる肝心要の点。どこが硬いか、どれくらい硬いか、硬さの発見こそが身体の発見だと言ってもいいかもしれません。 わたしもそうでしたが、普通はその硬さがいやで、ストレッチをしていても無理に伸ばそうとしてしまう。しかし、無理に伸ばす、すなわち力むとは硬さからの逃避にほかなりません。硬い自分の身体がいや、だから無理に伸ばして少しでも柔らかく見せかけようとするのでしょう。 しかし、それでは身体をいじめているに過ぎない。自身が自身を虐待してしまっている。 硬さを感じたところで、その硬さを十分に味わうこと。呼吸もゆったりさせてじわあっとさせること。この”じわあっと”がなにより大事。硬さを味わっていると硬さがゆるんでくるのがわかります。なぜなら、硬さを受け入れているから。硬さから逃げるのではなく、硬いなあと硬さをただ感じていること。それが余計な力みを生じさせないコツになります。硬いんだからしかたがない。硬さを無理にやわらかくすることはできないし、無理に伸ばせば力んでよけいに硬くなってしまう。 乗馬でもそう。力めば力むほど馬に扶助が伝わらない。硬さを感じつつ、硬さを受け入れていると力みが取れてくる。その状態で扶助を与えると馬はすっと言うことを聞いてくれたりします。空っぽの器にのみ水は入り、いっぱいの力んだ体には水(力)は入りようがないというわけです。修養の三本柱が相乗効果を生むといつも言うのはこういうことです。どれからも共通のことが学べる。

みぞおちも、足首も、腰もまだまだ硬い。終わりはないでしょう。硬いとはつまり、軟らかくなる可能性を秘めていることでもあります。硬さを見つけたらうれしくなるくらいでないといけません。じわあっと味わって硬いうちに軟らかさを感じる。血の流れがよくなるので温かさも感じられるようになるでしょう。 とくにこの季節、身体がますます硬くなってきます。寒さを乗り切るためには硬さをじわあっと味わうことをお勧めいたします。張り切って運動を行うことよりもじわあっと普段から硬さを感じること。結果的にそれがストレッチにもなっています。あえてストレッチをやるぞと思わなくても、普段の生活の動きがストレッチになる。

突然ですが、親鸞に悪人正機という説があります。悪人ほど救われるという一見、意味不明な説ですが、硬いなあ(=悪)と感じるまさにそのうちにじわあっとくる軟らかさ(=善)がある。硬ければ硬いほど軟らかさも感じられるもの。最初からぐねぐねのタコにはそのありがたさはわからないでしょう。硬いほど救われる。そして硬くない人はいない。程度の問題ですから。実はみな苦を抱えて生きている。その苦を見ずして「私、こんなに幸せ。」とのたまう人はただの現実逃避でしょう。悪人正機で言えば、善人に見えて悪人。しかしその悪に向き合うと苦を排除しようとはしなくなる。硬いなあと感じたその点に深い知恵は隠されているように思われます。 元手も要らず、教師も要らず。身ひとつで身そのものが与えてくれる叡知。

写真は出したばかりのコタツでくつろぐうしお。幸せそうです。
 

硬さをじわあっと味わう

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