《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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声を響かせる
2016.02.22
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朝の静坐前に「天津祝詞」「般若心経」「静坐の辞」を唱えています。
3年ほど続いていて日課になっています。
祝詞は神々に奏上するものなので、天地に響かせるものでなくてはならない。
そのため、当然身体にも響かせるものとなります。
お経も死者のためというのではもちろんなく、教えを身体になじませるというところがある。
ですから、唱えるだけでもいいいのですが、やはり意味はある程度かみしめつつ唱えていくのがよいでしょう。
先日、アインシュタインの予言した重力波が直接検証されたということで、話題になりました。科学の素人にはよくわからない話ではありますが、エネルギーには波の性質があります。
電磁波、寒波といったものだけでなく、生命を生命たらしめているものはエネルギーであり、波です。
声は生命体が発し、空気中を音波として広がっていく。それが響きとなって我々に聞こえる。
波ですから、音を聞くのは耳だけでなく、身体全体で感じられるもの。身体全体で聞いているというのが正しい。
朝に朗唱するというのも、空間に音波を発しながら、同時に自分自身でも波を聴いている、感じている。
声は内側から発せられるので、身体の内側が振動し、外に発せられるので、外側からも振動する。
つまり、内からも外からも振動するので、細胞全体が揺り動かされることになる。
揺り動かされるとエネルギーは活性化される。
生き生きとした状態を生み出しやすくするのが声を出すということになります。
実際、歌を歌う人や井戸端会議で延々と話すおばさんたちも元気。声を出すことで自らを奮い立たせているよう。
中身はともかく、エネルギーが感じられるのは声による響きに満たされるからです。
ただ、響きを生み出すなら調ったものにしたい。波動が良い、悪いといった言われ方もしますが、自らを調える響きを生み出したいものです。
声の良し悪しは残念ながらもって生まれたところがありますが、調和された響きを意識するだけで生み出される響きは変わってくるでしょう。
「天津祝詞」「般若心経」「静坐の辞」のほかに、食前食後に「感謝の辞」というのも唱えています。
これは断食療養所で覚え、以来ずっと唱えています。
人と食事するときにはやりませんが、一人のときはつねに。唱えた響きによって食事もまた変わってきます。
すべては波が生み出す響き。
調った響きに満たされていたいものです。
季節の変わり目で、ひさしぶりに自律神経の乱れで不調に襲われたので、ますますその思いを強くしました。
静坐や朗唱はやはり、畳の上がいちばんいいと思いますね。日本から和室が消えていくのが残念でなりません。
<天津祝詞>
たかまがはらに かむづまります
高天原に神留坐須す
かむろぎかむろみの みこともちて
神漏岐神漏美の命以て
すめみおやかむいざなぎのみこと
皇御祖伊邪那岐命
つくしの ひむかの たちばなの おどの あはぎはらに
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
みそぎはらいたもうときに なりませる はらへどのおおかみたち
御禊祓い給ふ時に生坐せる祓戸の大神達
もろもろのまがごとつみけがれを はらいたまえ きよめたまえと まおすことのよしを
諸々の禍事罪穢を祓ひ給へ 清め給へと申す事の由を
あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともに
天津神地津神八百萬神達共に
あめのふちこまの みみふりたてて きこしめせと かしこみかしこみもまおす
天の斑駒の耳振立て聞食せと畏み畏みも申す。
<般若心経>
・懺悔文(さんげもん)
我昔所造諸悪業 [がしゃくしょぞう しょあくごう]
皆由無始貪瞋痴 [かいゆむし とんじんち]
従身語意之所生 [じゅうしんごい ししょしょう]
一切我今皆懺悔 [いっさいがこん かいさんげ]
ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経 かんじざいぼさつ
観自在菩薩 ぎょうじんはんにゃはらみたじ
行深般若波羅蜜多時 しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空 どいっさいくやく
度一切苦厄 しゃりし 舎利子
しきふいくう
色不異空 くうふいしき
空不異色 しきそくぜくう
色即是空 くうそくぜしき
空即是色
じゅそうぎょうしき
受想行識 やくぶにょぜ
亦復如是
しゃりし
舎利子 ぜしょほうくうそう
是諸法空想
ふしょうふめつ
不生不滅 ふくふじょう
不垢不浄 ふぞうふげん
不増不減 ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色 むじゅそうぎょうしき
無受想行識 むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意 むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界 むむみょう
無無明 やくむむみょうじん
亦無無明尽 ないしむろうし
乃至無老死 やくむろうしじん
亦無老死尽 むくしゅうめつどう
無苦集滅道 むちやくむとく
無知亦無得 いむしょとくこ
以無所得故 ぼだいさった
菩提薩垂 えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多 こしんむけいげ
故心無圭礙 むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖 おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想 くぎょうねはん
究境涅槃 さんぜしょぶつ
三世諸仏 えはんにゃはらみたこ
依般若波羅蜜多故 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提 こち
故知 はんにゃはらみた
般若波羅蜜多 ぜだいじんしゅ
是大神呪 ぜだいみょうしゅ
是大明呪 ぜむじょうしゅ
是無上呪
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪 のうじょいっさいく
能除一切苦 しんじつふこ
真実不虚 こせつはんにゃはらみたしゅ
故説般若波羅蜜多呪 そくせつしゅわつ
即説呪曰 ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝 はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
ぼうじ
菩提 そわか
僧莎訶 はんにゃしんぎょう
般若心経
・回向文願
わくは この功徳をもって 普く一切に及ぼし(ねがわくは このくどくをもって あまねくいっさいにおよぼし)我らと衆生と 皆ともに仏道を成ぜん(われらとしゅじょうと みなとともにぶつどうをじょうぜん)
<静坐の辞>
悠々たる哉静坐。悠々たる哉静坐。
浩々乎として天地の間に塞がり、
又平々焉として尋常の中に宿る。悠々たる哉静坐。悠々たる哉静坐。
堅きこと鉄の如く、又軟らかきこと綿の如し。
静かなること林の如く、又疾きこと風の如し。
常に実、而して又常に虚。悠々たる哉静坐。悠々たる哉静坐。
火来たらば火を友とし、水来たらば水を侶とし、
敵なく、病なく、自然と交通し、萬物と同化す。
心眼求めずして自ずから開き、肉体求めずして自ずから健。
凡の又凡、玄の又玄。
悠々たる哉静坐。
<食前食後の感謝の辞>
(食前)美はしうして、うまき(朝・夕)食今今餐(う)く、希(こいねがわ)くば我人諸共に心身壮健にして同じく正道に進まんことを食をうけては正に真理を心の食とし、かみくだきて諸徳の味わいを知らんことを祈る。……頂きます。(
食後)飯食終りて身力充ちたり、勇気前に倍して事をなすに堪へん、いでや奮つて己が業にぞいそしまん、いでや奮って己が道にぞいそしまん。……ご馳走様でした。
