《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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京都新聞に「静坐社のたそがれ」
2016.06.02
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5月25日・26日と2日にわたり、 京都新聞の「地域プラス」一面に「静坐社のたそがれ」という記事が載った。
25日「上 近代精神の小宇宙」、26日「下 奇跡の軌跡」の二部構成。
静坐創始者の岡田虎二郎の薫陶を受けた、医師・小林参三郎とその妻信子によって静坐社ははじめられた。
岡田が急死し、静坐が衰退を辿っていく中、京都でふたたび灯をともしたのが静坐社であった。
しかし、これも小林夫妻亡き後、ひと悶着あったり後継者がなかったりで活動を休止する。
私も昨年に一度伺ったが、大正時代に建てられた洋館で味わい深い。
この建物が先日なくなり、そのことでこの記事化がなされた。
一時代を築いた静坐社の消滅が静坐を一般紙に載せることになったというわけだ。
明治に岡田が始めた静坐の歴史がざっと記述される。
東京で岡田に薫陶を受けた相馬黒光は新宿中村屋の創始者の妻であった。
中村屋のHPには「創業者ゆかりの人々」のページに岡田虎二郎も載っている。
http://bit.ly/1r3A6wp
中村屋は今でもカレーなどで有名だが、当時はここが文化人のサロンとなっていた。
それが京都の静坐社でも同じような状況が起こる。
広辞苑の編集者である新村出や上田敏などとの交流があったり、禅の鈴木大拙は坐禅が困難な人に静坐社に行くことを勧めたりもしていたという。
静坐社はその役割を完全に終えた。
現在は組織とは言えないが、季刊誌である静坐の友が有志で発行され、あまり更新はされないがHPを開設。各地で細々と静坐会が行われている。
年に一度、8月には夏季実習会が知恩院の和順会館で実施され、50名ほど全国から坐りに来られる。
静坐社に集っていた方は存命でも高齢化し、静坐に関する本も今はなく、静坐を知るよすがが今はなくなってしまった。
こうしてメディアに取り上げられることは非常に珍しいことである。
ただ、この記事も壊されたのが大正時代の洋館でなければ、取り上げられたかどうか。
建物のおかげで静坐が取り上げられただけとも言えなくはないだろう。
静坐したからどうだということはなく、とくに言語化できないものだから、なおさら取り上げにくい。
なにかに効くとか、こうなるという類のものではない、いわゆるスピリチュアル系でもないから高揚感をもたせられない。あえていえばニュートラルな位置に戻る、確認するということになるか。
静坐の意義は静坐に教えてもらうしかないもので、本当はここに先生と呼ばれる人は存在しない。
今坐っている者はただただ坐るしかないが、現代人がふと今の現状に違和感をもったときに知ることのできるようなよすががあればいいとはずっと思っていることである。