《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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「岡田虎二郎と糟谷磯丸」
2016.10.02
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季刊誌「静坐の友」29号に掲載された文章です。
岡田虎二郎と糟谷磯丸 京都・緒方順一
八、百丈の碑 渡辺崋山の碑が一丈ならば磯丸のために百丈を建てよ。
磯丸を研究せずしてソクラテスの研究がおかしい。
大哲は遠く世界に求めなくても、郷土にある。
かって米国の大学で、神は心中にありといふ講義を聴いた。
米国としては珍しい説のつもりで講師は述べたのであった。
自分は、日本には百年も前に左様なことをいった人があるとて、「天地 (あめつち)の造りなしたるみたまもの知らでわが身と思ふおろかさ」といふ歌を説明した処が、その哲学者は何といふ人かと反問せられたので、糟谷磯丸といふ漁夫であると答へた。
伊奈森太郎『静坐百訓補説』に岡田先生が糟谷磯丸翁を絶賛した言葉があります。
歴史の教科書にも載るような愛知の同郷、渡辺崋山の碑の百倍を磯丸のために建てよというのですから、どれほどの人物であったか興味をそそられます。 静坐をされている方は糟谷磯丸について知っておられる方も多いでしょうが、江戸時代に伊良湖で漁夫をしていた歌人で八十五歳まで生きました。三十代までは読み書きもできず、学者や肩書のある権威とは無縁というのも岡田先生と共通します。
歌の中身は道歌はもちろん、請われれば厄除けの歌まで幅広く、その境地の深さとユーモアは一地方歌人としておくのはあまりにも惜しい。
ただ『新編 磯丸全集』(渥美町文化協会)は田原資料館で現在でも取り扱われておりますが、手に入れるのがやや面倒です。
そこでささやかながら、磯丸翁の歌をいくつか紹介してみたいと思います。
にこりすむその日その日にくみすててすませ心のそこの清水を
いろいろにそめし心の色さめてもとの白地になるぞうれしき
「にこりすむ」は磯丸翁晩年の歌です。
生きているうちはいつまでも濁れば汲み捨てて心の清水を保っておこうという意味でしょう。「静坐を自分一生の間に、ものにしようと思うのも間違いだ。」と『岡田虎二郎先生語録』にある言葉と通じるものがあるでしょう。どちらも美しい調べです。
うけえたるわがたまがきをみがきなばよその社の神もまもらん
授かった玉垣(魂)を磨くことによってよその社の神も守ることになる。「この道は人に勧誘すべきものではない。(略)この道の世に広まらんことを欲するならば、まず専ら自己の修養に勉むるがよい。」という語録の言葉はまさにそういうことでしょう。岡田先生がこの歌を知っていたかどうかは知りませんが、見ていたなら我が意を得たりと膝を打ったことでしょう。
あふぎつつ天津み空を笠にきてひろき世にすむ身こそやすけれ 何
不足なき世の中に生れ来てたらぬはおのが心なりけり
「瑠璃も玻璃も照らせば光る(伊呂波かるた)」「静坐は天来の霊光に照らされる道である。」とあるように、静坐は生の根底、すなわちゼロに到る道だと申せましょう。天を仰げば天に包まれているわが身の安らかなることを感じる。ただ照らされていると知ることの安らぎ。
人はただ下を見てゆけ道すぐに上に目のつく蟹は横ばひ
笑みがこぼれてしまう歌です。「上を向いて歩こう」ではなく、「下を向いて歩こう」。上ばかり見ていたら蟹のように横に歩いてしまうよと。道なりに道を見据えて歩いていこうということですね。語録の「希望を持っている時はウッカリしている時」。地面を感じながら歩きたいものです。
わが身とてわがものならず天地のつくりなしたるみたまなりけり
天地の造りなしたるみたまもの知らでわが身と思ふおろかさ
言うことなし。完璧です。
へびならはじゃの道すくに池か山人のすみかによるなさわるな(蛇よけ)
月と日のひかりむつれはしら浪のよるのうらはのかくれかもなし(盗難よけ)
いのれかし花の盛りにたねとなるみをはむすふの神にまかせて(子の出来る歌)
口調もよく、村人の家に張られていたのでしょうか。
おろかしや餓鬼も地獄も極楽も鬼も佛も心なりけり
やまさかもなき極楽のちかみちはなむあみだ佛の六字なりけり
尋ねてもおくには何もなむあみだその口もとがすぐに極楽
妙好人のような軽やかさ。
あさくさにかりこめられてきりぎりすわれもなくかやおれもなくなり
心なきものとはいはじ草も木もかぜのかよへばこゑかはすなり
俳句を読んでいるよう。俳人の視線。
磯丸翁の歌は数万首もあり、その中で私に響いた歌だけを取り上げてきましたが、まだまだ紹介したい歌はたくさんあります。私は和歌に造詣が深いわけでもないので、読み切れない歌もたくさんありますが、こうやって紹介をさせていただけるのはうれしいことです。
ちなみに語録が教科書なら、『静坐百訓補説』は参考書だと位置づけられるでしょう。 直に岡田先生の薫陶を受けられた伊奈氏ならではで、語録の背景が述べられていて実におもしろい。 過去の静坐に関する本はいろいろと読んできましたが、現代にあえて読まれる価値は少ないと思っています。その中でもこの『静坐百訓補説』と、戦前に書かれた綴り方教育で名前を知られている芦田恵之助『静坐と教育』は、どちらも教育者が書いたもので今でも読み応えがあります。糟谷磯丸の歌と同じく読むすべがあれば読んでいただきたい本です。読まれれば歌も本も人も生き返りますから。