《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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何をもって生活をデザインするのか
2017.10.24
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起業家たちの集まりにひさしぶりに行ってみて聞かれることは、これから何がしたいのか、ということ。
うーん、とくにない。
しかし、彼らには野心があってしたいことがある。
ただほとんど形にはなっていないので、何がしたいのか聞いてもよくわからない。
僕にはどうして何もないのだろう。
省みるとふとすでに実現してしまっていることに気づく。
現時点においてではあるが。
昔の貧しく、忙しく雇われていたころは「思う存分本が読みたい」「思う存分音楽が聴きたい」「思う存分何もしないでいたい」といったことが望みだったように思う。
ところが、ほとんどの時間を自由に使えるようになると、ガツガツ本も読まないし音楽も聴かない。
つまるところ、思う存分本を読んだり音楽を聴いたりする時間がほしかったというだけなのだ。
ひと言で言えば「自由」だけを望んでいた。
自由の定義はさておき、ここではわかりやすい時間や経済的自由を指すことにする。
自由から生活をデザインして今日があると言える。
だから個人的にはこれ以上の望みはないし、あとは人が自由になる機縁になれればという思いがあるが人が望まなければそれは発動しない。
生活をデザインするにあたって、お金を稼ぐこと、家族を養うことを第一とする人は多いだろう。
ただ、それはあまりにも具体的で具体的なものは目的としてはならないように思える。
抽象的なものがあって具体的なものは手段と考えてみる。
私の場合は「自由」だが「愛」や「平和」であってもいい。
それらは言葉の違い、ニュアンスの違いであって、抽象的なものはさほど大きな差はない。好みの違いと捉えてもいいだろう。
抽象的なものが切実なものであれば、そこから生活はおのずと構築される。
具体を求めれば具体に振り回される。
生活の軸に抽象度をしっかり保つこと、その軸が円心状に生活の具体を整えていく。
具体的な話でないのでわかりづらいとは思うが、具体に振り回されがちだと思われるのであれば、よくよく吟味してもらう価値はあると思う。
写真は平日の昼間しか開いていない予約制の隠れ家的カフェ。
こういうところにふっと行ける自由もありがたい。