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《古書・古本の出張買取》 京都・全適堂 の日記

デジャヴとヴジャデ

2018.05.19

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http://diamond.jp/articles/-/93244

この記事の『Q思考』は読んだことがある。
その中にヴジャデというおもしろい概念が出てくる。

ヴジャデとはまさにデジャヴをひっくり返したもの
デジャヴは既視感と訳されるように、はじめてみる光景を見たことがあるような気がすること。
ヴジャデは当たり前に見えていたものが突然、見たことのない新鮮なものとして見えてくることを指す。

カザンザキスの『その男ゾルバ』で、ゾルバが言う。
「あそこの奇跡は、親方? あの動く青いもの、何というもので。あれは? 海? 海ですかい? あの花を咲かせた、緑のエプロンをつけてるのは何で? 大地ですかい? こいつを作ったのは誰です? こんな景色をみたなあ初めてですぜ、親方。誓ってもいいでさあ!」
いつも見ている海や大地が非日常にひっくり返ったのだ。
地と図が反転したのだ。

デジャヴもヴジャデもともに重要で、日常を非日常化する、つまり日常に縛られない精神の自由度を表す指標だとも受け取れる。
詩とはそういうものだろう。俳句もまた。
当たり前の日常に驚く
当たり前を当たり前に叙述するのは詩ではない。ただの日記に過ぎない。

農夫は自然に囲まれているにもかかわらず、俳句を詠むことは少ないように思われる。
あまりにも日常過ぎるとそこから視点をずらすということは難しくなるからだろう。
視点をずらすと農作業の効率に支障をきたすというところもあるかもしれない。

ヴジャデがやってくるためには、日常に流されないこと。
日常をよく見ること、聴くこと、味わうこと。

・今日の五句

暑き日をころころピアノコンチェルト

扇骨四五本ばかり開き閉ぢ

たらの芽の伐られ撃たれしごとく落つ

山水の走る筒姫先頭に

髪切つて顔剃つて夏帽子ぽん

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