《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
-
良い本と需要のある本
2012.01.15
-
本の束をくくるのに、マイカロンミニという中型のビニール紐を使っている。
一般家庭で使う玉状のものは太さが足りず、長さも短い。
業務用で使う大型のものは持ち運びに不便。
探し歩くが、どの文房具店にも売っていない。
ならばと、ネットで検索すると、上段に「『マカロンミニ』ではないですか?」。
マイナーな商品だということは承知だが、お菓子ではないし、マカロンそのものが小さいのにさらにミニってどういうことだ、と突っ込みを入れる。
幸い、アマゾンで購入できた。
さて、買取の際によくあることだが、こちらの査定額とお客さまの想定額が異なる場合がある。
買った当時は定価の高い本であったり、思い入れがあったりで「こんな良い本がこんなに安いのか」と。
良い本、悪い本というのは所有者の思いであり、実際の市場と連動しているわけではない。
よって、定価が高くとも年月が経てば価値が落ちるのがほとんどであり、高騰するのはごく一部。
もちろん、理由は説明させていただく。
たとえば、織物関係のバブル期に出された高額本などは、「織物業界が衰退して工場がどんどん潰れ、そこの本が大量に市場に出回っています。だから現在は価値が低いんです」といったように。
ただ、これはすべてがそうだというわけではなく、しかも、あくまで「現在は」ということで、30年経てばどうなるかはわからない。
小学館の子供向け雑誌「小学〇年生」の戦前のものはそれなりの値がつく。
古くなれば高くなるのもあれば、逆に価値なしとされることがある。
これは結局、需要と供給の関係が書籍にも当然当てはまるというだけである。
しかし、本には文化的価値を認めるがゆえにどうしても所有者の価値観が付与されがちである。
一昔前の文学全集を買い取るところは皆無と言っていいだろう。
当時は本棚を豪華に見せようと買っただけで読まなかった人も多く、見栄で置いていたところもある。
中身は良い。鴎外、漱石等々名作揃いではある。
しかし、読み継がれているものにせよ、新版がどんどん出ている現代において、当時の全集で読もうとする人はそうはいない。
昨日、沢庵の『不動智神妙録』を読み終えた。
沢庵和尚が柳生宗矩に宛てたもので、宗矩の素行を手厳しく批判しているのが面白い。
剣の達人に宛てて書いたものだから、剣禅一如を説く。
不動智というのは心は迷うものだから、心をどこかに据えようとするな。自由にさせよと。
「応無所住而生其心(おうむしょじゅうじじょうごしん)」と一言で述べる。
「心こそ心迷はす心なれ、心に心心ゆるすな」とその意の歌を挙げもする。
内容はもちろん、原文を朗読してみるとなかなかに趣がある。
声に出して読むこともまた、読書の醍醐味の一つである。
で、残念ながらというべきか、この本も市場価値は高くない。
名著と言われるものは、それだけ版を重ねてきたもので、大量に現存している。
ベストセラーがすぐに価値が下がるのも同様である。
よく、「では、どんな本が売れるんですか?」と聞かれる。
しかし、この問いに納得していただける返答をすることはできない。
需要があって供給量が多くない本ということになるが、ジャンルで答えることもできず、見てみないと何とも言えないと言うしかない。
具体的に挙げてもらえればお答えできるのだが。
ご連絡いただければ、しっかり査定いたします。まずはご一報を。