《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
-
1日1食
2012.03.25
-
サンマーク出版が快調にヒット作を飛ばしている。
以前書いた、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』に続き、医師の南雲吉則氏の『「空腹」が人を健康にする』が広告の巧みさもあり、よく売れている。
ジュンク堂書店京都店によると、3月12~18日での売り上げが5位、6位は前著の『50歳を超えても30代に見える生き方』(講談社)となっている。
2冊とも読んでみたが、内容はほぼ同じである。
サンマークのほうが1日1食をメインに書かれている。
ポイントは1つに絞ったほうがわかりやすいという好例だろう。
片づけも少食もともに、必要でもないものを過剰に摂取しているという意識があり、重さを和らげたいという点で軌を一にする。
個人レベルだけでなく、社会レベルでもそうだ。
消費を増やし経済成長を促すというモデルは、もう現実的ではないと多くが感じてはいる。認めたくなくとも。
原発問題も今と変わらない生活を続けようとするから、再稼動を急がざるを得ない。
原発が良い悪いではなく、それだけのエネルギーが必要でなくなれば要らなくなる、それだけのことだ。
著者はアンチエイジングの推進派でもあるが、その是非はさておき、多くが1日1食になれば、身体も社会も活性化されるだろう。
私は元々1日2食だったので、1食にして1週間ほどになるがとくに問題はない。
お腹が極度に空くということもない。
食べ過ぎるほどに胃は拡張し、より多くを要求する。
これは肥満で大食の人を見ればよくわかるだろう。
空腹になると「サーチュイン遺伝子」なるものが働き、体中の細胞を活性化するという。
また、1日1食になれば、その1食に何を食べるかよく考えるようになる。
逆に言えば、1日1回しか考えなくてよい。
これも前に書いたように、手数を省きたい面倒くさがりの私としては大変ありがたい。
食器も1回しか洗わなくて済む。
「一物全体」の考え方から、丸ごと食べられるものをよしとする。
小魚や納豆など、厳格にではないが、著者の言うものは普段から食べている。
スイーツも酒も摂りたいなら、安物をたくさんではなく、厳選された高級なものを少し食べるというのはよく理解できる。
1日1食のほか、カフェインは血管を収縮させるので、ゴボウ茶を勧めている。
生姜紅茶に続いて流行るのかもしれない。
1日3食の現代人に、1日1食がどこまで浸透するか疑わしいが、このままではまずいと感じている人が増えつつあることも事実である。
私を含め、現代人の運動量はたかが知れている。
会社の付き合いや家族がいれば兼ね合いもあるだろう。
その辺は柔軟にやっていけばいい。
断食よりはやりやすく、継続もしやすいと思うがいかがだろう。
食べすぎは溜め込むことの一形態に過ぎない。
それが本能に結びついているから強固になっている。
片づけも物で溢れかえっていれば、感受性が鈍くなる。
食べすぎも同じ。
バブルが弾けた頃は清貧の思想が流行った。
あれは貧しくなることに対する自身への言い訳の思想でしかなかったように見える。
自然に溜め込むことから離れゆくこと。
フロムが「持つ」ことと「在る」ことの違いについて丁寧に述べていたのを思い出す。
『To have or to be?(邦題『生きるということ』)』。
ただ在ることの贅沢さは持つことのそれとは比較にならない。
いかがわしいスピリチュアルな思想もすべて「持つ」ことだ。幻想を。
幻想を振りまくものはつねに現れるだろうが、寄辺のない現代こそある意味、意識をシフトしやすいと言えよう。