《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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森田療法
2012.04.17
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岩井寛『森田療法』(講談社現代新書)を読んだ。
現実に臨床現場を見たわけではないので、森田療法を知ったつもりになってもいけないが、やはり非常に合理的な方法だと言えよう。
ガンに蝕まれていた著者が、口述筆記によって書き上げたのがこの絶筆となった書である。
新書とはいえ、軽く読み流せるものではない。
かといって、深刻になるべきものでもない。
テーマが1つに絞られているので、最後までしっかり読ませられる。
主旨は1つである。
「あるがまま」に「目的志向」。
たとえば、引きこもってはいるが、外の世界に出たいとする。
引きこもりたいのも外に出たいのもともに欲望である。
しかし、どちらの欲を優先させたいか、それに尽きる。
もし外の世界に出たいほうを優先させるなら、引きこもりたいという欲望をそのままに外に出るを目的として遂行する。
気分はどうでもいい。気分は気分のままに目的志向。
あるがままは精神世界でもずいぶん使われ、言葉としては古いものだ。
何やらあるがままがあたかも素晴らしい世界であるかのように語られもする。
しかし、あるがままはあるがまま。
それ以上でも以下でもない。
あるがままというのは観念ではない。
本来は世界のあらゆる事象も己の心もあるがまま。
欲望云々より先に、まず存在し続け、流れ続けるあるがままを感じることが必要だろう。
それでは行動に移れないではないか、観想だけになってしまうのではないかという哲学の批判もある。
が、そうではない。
あるがままは己自身なのだ。
根っこから感じていれば自己はおのずと展開される。
その展開に従いゆくだけのこと。
森田療法から少し外れた。
具体的には入院療法と外来療法がある。
はじめは入院療法しかなかった。
最初の1週間は「臥じょく療法」。洗面や排泄などをのぞいてひたすら静かに寝る。
不安や葛藤が現れるが、とくに問題ないことを感じると「生の欲望」を発揮したくなる。
生の欲望を十分に感じさせることがこの期間の目的である。
次の「作業療法」期では、盛り上がった「生の欲望」を押さえ気味にして少しずつ日常生活における作業に移し変えていく。
森田療法は療法ではあるが、特殊なことではない。
自らのあり方を問うてくる哲学でもある。
この本を、古書組合の近くにある高倉二条のカフェ「月と六ペンス」で読み終えた。
写真はそこでのもの。
隠れ家的な2階にあるが、途切れることなく客が入ってくる。
女性がほとんどであった。
壁に向き合って座るので、集中するにはよいのかもしれない。
来るなら誰かとではなく1人で来た方がよい。
もしくはしゃべらなくてもだいじょうぶな人と。
しゃべり続ける女性二人が入ってきたので、ちょうど読み終わったこともあり、席を立った。
チーズケーキはあまり好きではないのだが、ここのは美味しい。
ちなみに、この店に置かれた本は、「現実逃避を誘うような本」をセレクトしたのだそうだ。
『森田療法』とは真逆か(笑)。
ブックカフェとしてもたびたび紹介される。
