《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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ザ・シンフォニーホールにて
2012.06.16
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2回目のロイヤル・フランダース・フィルハーモニーのコンサート。
前回は、ヘレヴェッヘ指揮の古楽であったが、今回はエド・デ・ワールト指揮、演目はエルガーのチェロ協奏曲とマーラーの交響曲第1番「巨人」と、趣向をがらっと変えている。
健康上の理由で、チェリストが数日前に変更となった。
どちらも存じ上げない方だったので、支障はない。表情豊かに弾いていて好感がもてた。
エルガーを目当てに聴きに行ったが、予想以上にマーラーが会心の出来であった。
今、バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルの同曲をレコードで聴いている。
これはもちろん名演ではあるが、ロイヤル・フランダース・フィルは高雅な響きを聴かせてくれ、ねっとりしたマーラーではない。
マーラーらしく金管もしっかり咆哮してくれたが、それでも中庸で雅な響きがある。
このオケが好きなのは、音に理性と良心があるからだ。
ちなみに、第3楽章が流れると、「グーチョキパーで、グーチョキパーで、何作ろう。何作ろう。」の歌が頭に流れてくる。
原曲がこれなのだから仕方ないとはいえ、日本人だと自分が感じる瞬間だ。
ドヴォルザークの「新世界」の2楽章で「遠き山に日は落ちて」が流れるときも。
先週、カフェ・モンタージュで2台のチェンバロのミニコンサートに行った。
そのときに浮かんできたフレーズが、今日のコンサートで形になった。
十代の頃に書いた詩と全然変わらない。
君がもし自らの虚ろなるを嘆くなら
これまで君を流れてきたものに思いを馳せるがいい
虚ろなる感覚から焦りは出ずる
焦りは虚ろを埋めるための感情だ
豊かさは此方に彼方に遍在している
此方である自分と彼方である宇宙を信頼せよ
さすれば根拠のない自信に満たされる
信頼と自信は還流する水のようなものである