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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

縁石瞑想

2012.11.11

今朝の毎日新聞の短歌欄で、秀逸に選ばれた2首を挙げる。

 何もせず過ぎしひと日は自由なるわれの時間と思へずにゐつ

 こもりゐて鬱になるよりは増しならむパチンコに通ふ飲み仲間に会ふ

共に無為に過ごす虚しさを感じ、そこから逃れようとする心性を描いている。
選者は違っても共に同じ内容を選ぶ辺り、現代の一般的な在り方を表しているだろう。
何度も書いているが、「時間を潰す」という表現は生を大切にしていない表れだということに気づいていない人が大半である。
現在から、自身が「在る」という意識から、逃れようとするために、人を、物を、空間を利用している。時間を潰すとは、己を潰すことであり、人を潰すことであり、生を潰すのと同じことなのだ。

本来在るのは今しかない。
過去も未来もなく、後悔や将来の不安などはすべて、思考が作り上げているもののはずだ。
その証拠に危険を感じたときはまさに、その瞬間しかない。
瞬間が生きられているときに時間は存在せず、ゆえに潰すものではなくなる。

巷で使われている瞑想という言葉はほぼすべてと言っていいほど、単なる瞑想ごっこである。
自己を高める、集中力を増す、人に優しくなれる、ストレス解消等々、すべて結果を求めてのこと。
思惑なしに今を感じる、無目的な在り方が瞑想なのだが、刺激を与えてくれるものを望むばかりでそのような静寂に関心を払われはしない。

さて、ここで瞬間を感じる一助となるものとして、縁石瞑想というものを考案した。
縁石とはそう、歩道と車道を区分するところ。
そこをよく子どもがやっているようにバランスを取りながら歩いていく。
白線でははみ出ても安心なので注意力が喚起されない。
ただし、縁石がないところでは白線を代用すればよい。
縁石は車道側に落ちればもちろん危険だし、ともかく落ちないようにしなければならないので否が応でも意識がはっきりする。
バランスを取りながら重心を落とし、力はなるだけ使わずにただ縁石に沿って歩いていく。
日常の通勤、散歩など、道は歩くわけだからただそこを縁石にすればよいだけ。
特別なことは要らない。非常にローコスト。
ティク・ナット・ハンだったか「大地にキスをするように歩く」というのは悪くないが、ぬるい。
意識をよりはっきりさせるには少しの危険が必要で、さもなければすぐに眠ってしまう。
人間の意識は起きていると思っていても眠っている。
その証拠に、パターン化された行動を望み、刺激に対して決まった感情の反応しか返さない。

いい大人が縁石をずっと歩くのは恥ずかしいというかもしれない。
しかし、その程度すらできないのではどうしようもない。
今日も駅からの往復を縁石瞑想していたが、これは心底よいと感じている。
いわゆるバランス感覚も鍛えることができるし、腹筋や背筋も締まると思われる。
あくまで結果ではあるが、そういう実利的な効果もあるだろう。
縁石瞑想は簡便かつ、実に奥深いものになり得る。
真面目な遊びゆえ、真面目な人にお勧めしたいと思う。

縁石瞑想

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