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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

アフォリズムと短歌

2013.02.21

アフォリズムとは簡潔な警句・箴言のこと。
だとすれば、これは短歌という形式にぴったりだ。
短歌は季節のことや日々の目に留まったことといったものが多いが、私はアフォリズムを含め、以前から短歌、または俳句ををちょうどいい表現形式として用いている。

ふと書店で目に留まった本、中島裕介『もしニーチェが短歌を詠んだら』(角川学芸出版)は、まさにその試みを果たしたものである。
「ニーチェが日本語と短歌を知っていたならば、短歌を作っていただろう」と著者は述べる。私も同感である。
ニーチェは哲学者と言っても、一般にイメージされるような難解な内容を1冊の本にまとめ上げるタイプの人間ではない。基本的にはアフォリズムを束ねて1冊の本になっている。彼の本質は詩人に近い。

著者はニーチェのアフォリズムを短歌形式で詠み上げる。
内容の面白さはともかくとして、その試みには深く敬意を表するものである。
そのうちで秀作だと思うものをいくつか。

 人々は光を求めて生きている(自分を輝かせてほしいだけだが)

 自らの生の主役でありたいと思うならまず孤独を学べ

 「近道が見つかったんだ!」とひとびとは道を離れて……結局迷う

 簡単なことばは長く思索され熟成されたものでありうる

 自らの血でもって書け 他の人の血を理解するのはたやすくはない

こういう歌をよく味わってほしい。
光を求めて生きる者、孤独を学ぼうとしない者、近道を見つけたといつも狂喜している者、深慮のまったくない者、借り物の言葉ばかりで書いている者、こういう人たちにかける言葉はない。彼らのほしがるものを私は与えることができないから。
帯に「ニーチェ曰く、哲学は、歌え」とある。
歌の最初で最大の聴き手は自分自身である。歌はただ産まれ出るもの。なんにせよ、産まれ出ようとするなら、歌われねばならないというだけ。
「詩は作るものではなく、向こうからやってくるもの」といった意味のことをクマのプーさんが述べている。作り手は本当は助産師である。どんな歌が生まれるか、助産する者がその歌を聴くのを楽しみにしている。


先日から、ちらほら大学の研究室から本の整理の依頼をいただいております。
時節柄、これから増えてくるものと思われます。
お気軽にお申し付けください。

 退官す教授の本を運び終え研究室に光たたずむ

アフォリズムと短歌

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