《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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ピラミッドのある世界
2013.09.08
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会員になっているいずみホールにて、オール・サン=サーンス・プログラムを鑑賞。
すべてサン=サーンスというのはめずらしい。
有名どころは、交響曲第3番や「動物の謝肉祭」くらいでしょう。
プログラムは下記の通り、日本ではあまり演奏されないものばかり。
・「ミューズと詩人たち」
・チェロ協奏曲第1番
・交響曲第2番
指揮とバイオリンは、このホールの音楽監督であるデュメイ、チェロはアダム・クシェショヴィエツ。
心地よく聴いていられる好演でした。
デュメイの立ち姿は欧米人の骨格もあるでしょうが、まっすぐに天地を通り抜けていて優雅で美しい。
コンサートは音だけを聴きにいくわけではありません。オーディオでは見えないホール、雰囲気、演奏者の姿すべてが音につながっていくのを感じられるのが醍醐味です。
聴きながら、先月に見た映画『風立ちぬ』の場面が思い起こされました。
主人公は、鯖の骨のカーブに美を見出す飛行機設計士の堀越二郎。
彼の尊敬するイタリアの設計士カプローニ伯爵が「ピラミッドのある世界とない世界、どちらがいいかね?」と聞くくだり。
古今存在したあらゆる芸術作品は、何かの犠牲によって成り立っている。
ピラミッドは搾取の上に成り立っている美の象徴です。二郎は戦争に使われると知りながら、美しい飛行機を作ろうという欲求に従う。
クラシック音楽も元は貴族の庇護の下につくられていました。
階級社会があったからこそ、ハイドンもモーツァルトも世に才能を発揮できたわけです。
多くの芸術家は、時の権力者と持ちつ持たれつの微妙な関係を築いてきました。
クラシック音楽がなければ、私は音楽そのものに価値を見出さなかったかもしれない。
そういう意味で、クラシックは私にとってのピラミッドです。
誰もが、規模の大小はあれどピラミッドを持っているのではないでしょうか。
映画の最後で、カプローニ伯爵が二郎に、「まだ風は吹いているかね。」と尋ねます。
風は生命の息吹であり、生きる気力でしょう。
宮崎監督は、それを自分自身に、そして観客に問うているように思えます。
全編とおして、風景の美しさは油彩画のようで、どのアニメの追随も許さない。
堀辰雄の小説のほうもずいぶん昔に読み、内容はあまり覚えていないのですが、風景描写の美しさだけは印象に残っています。文章が喚起する美しさを表現しようとする情熱に頭が下がります。
ユーミンはとくに好きなわけではありませんが、歌もエンディングに見事なまでにはまっている。
庵野監督が声優をしていることに賛否もあるようですが、いい声でした。
上手いか下手かと言われれば、プロではないのだから上手くはないでしょう。
それでも、ただ上手いだけの声など聞きたくない。下手でも声が生きているほうがいい。
私流に言えば、デジタルのCDの音よりアナログのレコードの音を取るということ。
どたばたしない、すばらしい大人の映画でした。
写真は、乗馬クラブで存在は知っていたものの、はじめて出会ったネコ。
人懐っこく、身を摺り寄せてきて大変かわいらしい。
