《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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隠居ぐらし(ITY)
2014.05.16
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横尾忠則『隠居宣言』(平凡社新書)を読む。
画家である著者が70歳で隠居宣言をし、それにまつわる質疑応答集。
・全部の時間が楽しくないと隠居ではない。
・隠居は損得の発想ではない。目的と結果に振り回されている人は隠居に向かない。
・社会との関わりは最小限にとどめる。雑縁から学ぶことはもうなく、社会と関わる個人ではなく、自らに関わる存在でいる。
・隠居は社会のアホ加減を体験した結果到達する。社会がアホに見えていないうちは現役でいいんじゃないか。
的を射ているなというものをまとめてみました。
著者は岡本太郎を痛烈に批判する。
言葉が絵に追いついていない不幸だと。老いても枯れることを恐れているから肩の力が抜けないと。
たしかに岡本太郎の存在と発する言葉は見事だが、絵がすばらしいかと言われると、首を傾げざるを得ません。
しかし、批判する者が批判される者を映し出すというのは往々にしてあることで、その批判はそのまま横尾氏自身でしょう。
言葉は的を射ている。しかし絵は気持ち悪い。
そもそも宣言をする時点で隠居ではないでしょう。
横尾氏の情動こそ生涯現役であり、傍目にもそう映るのでは。
隠居願望の強い現役アーティストと言うのが妥当ではなかろうか。
生計を立てるためのグラフィックの仕事を断って好きな絵を描く生活に入った、だから隠居だという。隠居に向かない人物として瀬戸内寂聴氏を挙げていますが、激しい情動を横尾氏は有しているのだから、やはりここでも批判する者と批判される者は変わらない。
隠居についての指摘は的確です。
しかし、本人が枯れていないので隠居とは言いがたい。
気力に満ちながら枯れているのが隠居だと私は考えています。
滝や『方丈記』などの隠居文学、小林秀雄の講演など、私と関心の軸は似通っているので、話をすれば楽しいかもしれません。
私自身は中学生のころ、すでに隠居願望を口にしていました。
将来何になりたいのかと聞かれ、「隠居」と答えて大人が困ることも。
隠居になるなら、受験勉強や就職活動はまったく無意味になり、アドバイスをしようにもできることはないから。社会と積極的に関わろうとしない者に社会が手助けしようもなく。
ただ、小林秀雄の言うように、隠居は最初から隠居になろうとしたのではなく、社会が彼を隠居にしたのだという指摘は実に正しい。
中学生で社会に出ていないにも関わらず、周囲の大人を見て社会をどういう人間が構成しているかは見て取っていました。
それでも、もしかしたら実社会には違う人々もいるのではないかと淡い願望を抱いてみたのですが、社会に出ても中学生が直観したことはそのままであったと確認するだけであったのです。
出世という言葉は、世に出るという意味に使われますが、本来は仏教用語で世を出る、つまり出家と同じような意味でした。
本来の意味での出世を望みつつ、社会と断絶して出家、つまり隠者になろうという気はさらさらなかったし、今でもない。
隠居は社会と最低限の関わりを持つが、隠者はそうではありません。
隠者がこもっていたという洞窟に入ってみたりすると、なかなかに居心地がいい。
しかし、人であるかぎりは最低限でも社会と連なっていることがベターでしょうし、文明を享受できるのはありがたいことです。
隠居というあり方を実現するのに古本屋はとてもいい。
自らを省みて、生活や仕事の基準を見てみると、3つにまとめてみました。
頭文字でITY。
I=隠居ぐらし
T=殿様商売
Y=横綱相撲
隠居ぐらしを実現しようとすると自然と古本屋の道が開かれました。
横尾氏も時間の自由が隠居の根幹のように語っており、古本屋は自分のペースで仕事ができ、しかも私の場合はこれが好きで苦にならない。書斎カフェもこの発想から生まれました。
殿様商売というのは、横柄な態度を取ったり偉そうにすることではなく、同じく自分のペースで裁量できる仕事をするという意味です。嫌なことはやらないということもあります。
横綱相撲は、狭いスキマ産業であっても、これも自分の裁量でゆとりをもってやれることを指します。一人勝ちでもなく、他の同業者が利益を得ていても一向に構わない。過当競争にさらされず、がっぷり四つに組んでじっくり取り組める環境を選び取るということ。
いつも述べていることですが、隠居のもっとも大切にしていることは、暇を愛でる、これに尽きます。
趣味でも仕事でも家事でも多忙にしたがることこそ、隠居とは真逆のあり方。
何はなくてもいい。ただ暇があれば。暇を味わう至福を知る人こそ、隠居の資格があり、社会にあっても隠居でありましょう。
横尾氏だけでなく、忙しくしておられる著名な年配の方が隠居を語っておられることがままありますが、その方たちは本来の隠居とは言えません。がつがつ社会に関わる姿は隠居とは相容れませんから。
隠居と猫はセットのように語られがちです。
でも、猫は存在が隠居ではない。本来は獲物を狩る獣だから。
ヤギこそ隠居にふさわしい。枯れた雰囲気をもつこれ以上ゆったりした動物はいないのではないでしょうか。
写真は京大のぶさいくな(?)オス山羊。
