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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

自分が居る場所

2015.02.20

You tubeでインパルスのコントを見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=itf8mQFOWsM

非常に秀逸な作品です。
職業に貴賤はないと言いつつ、宇宙飛行士や外科医などは誰もがなれる仕事ではないので一般の人はそういう職業についている人=満足している人とみなしがちです。
歌手やスポーツ選手などは夢をかなえた人間であり、充実した生活をしている。だから「何か違うな。」という言葉を発するわけがないと思っている。これがコンビニのアルバイトやゴミ回収の職員といったものなら妥当な思いだということで笑いにはならない。

お金持ちであって、理想的に見える家庭を持ち、人がうらやむような仕事についていても、当人が充実している思いを持っているかは別の話でしょう。
「何か違うな。」は潜在的にほとんどの人が持っているのではないかと思われます。
それを日々の忙しさで紛らわしているだけかもしれません。
「違うくない!」と周りには見えていたとしても、当人の見方はまた違うもの。

臨済禅師は「自らを信じきれぬ点に病因があるのだ。」と喝破しました。
存在しているということは、存在するのを許されているということです。
この世界に投げ入れられた異邦人であると同時に、そこに居てもよいということ。
両者の感覚はともにどちらもおかしなものではない。
だから、自らの居るところをよしとするかどうかは自らの認識にかかっている。
「何か違うな。」が現実逃避となると、どこにもない「本当の私」探しになってしまったりもします。

これがある程度の年齢を重ねてくると、「自分の能力はしょせんこんなものだ。」と現状維持の諦めモードに入ってしまう。
そうすると活力が失われ、惰性で生きることになる。
老荘思想が批判されるのはこういう点にありました。「あるがまま」なんだから何もしなくてもいいじゃないかと。

夢や希望が悪いわけではない。しかし、夢や希望に立脚すれば、いつまでもそれらがなくてはいけなくなる。これを希望中毒症と言ってもいいかもしれません。
まずは自らに立脚する、その上で夢や希望が出てくればそれを成せばいいでしょう。
今の居場所が本来の自分の居場所ではないという不満から生じているなら、いつまでもその不満足感をはくすぶり続け、くすぶり終われば諦めの惰性へと移行する。
どちらにせよ、今、ここに立脚していないという点では同じです。
すべては縁によってその場所に居る、もちろん縁は自らの意思によったものでないので違和感が生ずるのは不思議ではない。逆に流れでそうなっているので、それもまた自然。

以前、縁と意との交点を観で求める、という記事を書きました。
http://zentekido.on.omisenomikata.jp/diary/508926
まず縁はしかたのないものですから受容しつつ、違和感は意につながるので、現在と違和感である意思の交点を「観」で求めると、「何か違うな。」と「違うくない。」が共存しながら行動が現れる。
なんか難しくなりましたね。毎度のことなのでご容赦を。

写真は初の? 仕事場撮影。

 山羊食むを眺めておれば菫かな
菫が結構咲いているのですが、案外気がつかないもの。 

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