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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

森田療法の目指すところ

2015.07.15

年初に森田療法を実践してきた京都の神経科、三聖病院が閉鎖されました。
2009年にドキュメンタリーのDVDを2本制作しているのを知り、早速アマゾンで注文。
『ヒポクラテスと蓮の花』『三聖病院-宇佐療法という宇宙』の2本セットで18,000円ほど。DVDとしては飛びぬけて高額ですが、背に腹は代えられない。そもそも視聴者が少ないことが前提で、しかしながらその少数の視聴者はどうしても見たいという人たちですから高額でも買う。
それが需要と供給というもの。学術書が高額なのもそういう理由から。

『ヒポクラテス~』は本名を明らかにした対人恐怖を抱えた入院患者を追ったドキュメンタリー。
『三聖病院~』は『ヒポクラテス~』で入れられなかった院長の宇佐氏のコメントをまとめたもの。
ただ、重複している部分は多い。

東福寺の敷地内で90年続いてきた歴史ある病院。
それなのに、その内実はあまり知られることがありませんでした。
初代院長は禅僧であり、新たに医師免許を取得したということから、三聖病院の森田療法は禅的森田療法とも呼ばれます。

2代目院長の宇佐晋一氏の言葉、または院内に掲げられた多くの掲示を羅列していけばその言わんとするところはわかるのではないでしょうか。いや、それとも逆に煙に巻かれていると思うでしょうか。

「話しかける人には答えないのが親切」
「不問不答」
「しゃべる人は治りません」
「心には建前しかない」
「心は常に後回し」
「わからずに居る」
「自分をほうっておく」

こういったこと。
今すぐ悟ることが治癒、それしかない究極。
一般的には心の病気というのは、治療者は話を傾聴して、だんだんに改善していくことを目指す。
三聖病院では患者が心の問題を話すことに意味はないと捉える。病気だと、問題だと捉えている時点で病気であり問題が確定してしまっているから。
禅でいうところの頓悟(突然悟る)しかなく、漸悟(だんだん悟る)はあり得ない。時間を媒介としないというのは、現代人には理解されがたいでしょう。

森田療法では、毎日日記を提出します。
院長が日記に目を通し、心に目を向けている記述は誤りだと見なし、見えているものや行為というあるがままの記述には肯定的なコメントを返す。

入院生活は4期に分けられ、次のようになっています。
・第一期 - 絶対臥褥(がじょく)期:患者を個室に隔離し、食事・洗面・トイレ以外の活動をさせずに布団で寝ているようにする。
・第二期 - 軽作業期:外界に触れさせ軽作業をさせたりする。なおこの時期から主治医との「個人面談」と「日記指導」も行う。
・第三期 - 作業期:睡眠時間以外はほとんど何かの活動をしているという生活にする。なお現代では適時休憩をとるように指導するところもある。
・第四期 - 社会生活準備期:日常生活に戻れるよう社会生活の準備に当てられる。
上記の課程を40日~3ヶ月程度行う。(Wikipedia)

森田療法は外来もありますが、本人が問題に目を固定化していしまう傾向があるので、入院で自由を奪うというのが効果的だということになります。逆のようですがつねに緊張状態にさせる。
人と話せないので気を紛らわせることもできず、ただ寝ているだけ、もしくは外物を観察する、作業を黙々とする、そういったことであるがままの状態、純粋経験だけを生じさせる。
自分を情報化しないという言い方も出てきます。心は建前しかないのだから、どんなに分析しても問題はより強固になっていくだけしかならない。
言葉を使わないということが、他の療法者に理解してもらえない大きな点のようです。

宇佐院長は修養という言葉が古臭く見られ、省みられないのは残念だと話されます。
私も同じような思いをつねに持っています。静坐に息を吹き返してもらいたいというのもそれに尽きます。
森田療法には思想はない、禅にも思想はない。静坐もまた然り。純粋経験は思想ではありませんから。
禅と軌を一にする森田療法が経済活動としての病院として成り立つことはやはり難しい。
しかし、だからと言って価値がないとは言えない。現代人のほとんどは神経症だと言ってもいい。
心療内科にかかるような神経症でないからといって、そうでないとは言えない。自己に執着があるなら神経症であるのですから。
最近、アドラー心理学が着目されていたりするのですから、アドラーと非常に相性のいい森田療法がさらに注目されてもいいと思うのですが。やるべきことを淡々とやるというところなどまったく同じ。

「大変ですね。心の問題は誰にでもありますが、つらいものですよね。よくわかりますよ。」
といった物分りのよさげな甘い言葉に誰もがころっとイカれて依存状態になってしまうわけですが、そういった甘言がもっともその人をダメにしているということがわからない。
世の中は甘言を言いたい人、言ってもらいたい人ばかりで真実は欲していない。
修養という言葉が聞かれなくなるわけですね。

You tubeの『三聖病院-宇佐療法という宇宙』の予告。
https://www.youtube.com/watch?v=ypnqR2zeZuY



本日は滋賀県の和算の研究者のお宅へ買取に。
先日書きましたように、馬に蹴られたためにダンボールを持つと胸が痛い。くしゃみも途中で止めないといけないほど痛いのですが、だからといって仕事ができないほどではないので黙々と運んでおりました。
仕事をしなければ治りが早くなるということでもないですし、痛みを感じている間も治ろうとしていることを感じていますので、気になさらずにお声かけください。

森田療法の目指すところ

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