《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記
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二宮金次郎像の歴史
2015.07.23
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ミニヤギのうしおばかりを紹介しておりますが、当店のイメージキャラクターはトップページに堂々とおわします二宮金次郎像です。
古書店を開くならこの像を置きたい、いや、金次郎像を置きたいから古書店を開いたというほど。本末転倒ですが、いまやレトロ感漂うこの像を中国で作ってもらい、福建省からはるばる船便でやってきたのが今の像。
真面目な人に来てもらいたいという思いと、おそらく人より早く社会に出て、食費を削ってまで本を読んでいた自分自身を重ね合わせていたということもあるでしょう。
実際、歩きながら本を読んでいて車に轢かれそうになったこともあります。
平成元年に発行された『ノスタルジック・アイドル 二宮金次郎』(井上章一文 大木茂写真 新宿書房)を読みました。
二宮金次郎像の誕生と衰亡に至るまでの歴史を調べ上げています。
金次郎(尊徳)の伝記はひとえに彼の弟子、富田高慶の『報徳記』によっているのですが、その弟子自身が少年期の誤りの多さを認めているというのだから、薪を背負って読書に励んだのが事実かどうかも怪しいという。
一般的なイメージである負薪読書の絵が現れたのは、幸田露伴『二宮尊徳翁』だそう。
下絵も露伴がした可能性があり、露伴はどこからこのイメージを作り上げたかというと、なんとイギリスの宗教家バンヤンの『天路歴程』だと。滅亡の町から天の都へ向かう主人公はぼろを着て、手には聖書をもち、重い荷物を背負っている。たしかに、構図はよく似ている。
金次郎像は日の丸と同じく、国家主義の象徴のように思われている人もいますが、アメリカ人は戦時中からおおむね金次郎には好意的であったようです。
それはやはり『天路歴程』のイメージがあり、内村鑑三の著作の影響もあってリンカーンと比すべき自由主義者だと思われていた。だからこそGHQは金次郎像の撤去も命じず、賞賛さえ惜しまなかったのだと。
金次郎像のイメージは修身の教科書に依拠しているように思われている節もありますが、実際は幸田露伴の著作にはじまり、引き札と呼ばれる広告に描かれた金次郎象がそのイメージを流布したのだと。これも上からの押しつけではないというところで興味深い。
また、本来は薪ではなく柴を背負っていました。それが、銅像を作る際に薪のほうが手間がかからないという理由から柴から薪に変更されたようです。
戦後しばらくは金次郎像の人気は高く、学校が購入するものではないので、小学校OBが寄贈した数は優に万を超える。それでも自由主義と勤勉は両立せず、像は少年少女が空へ手を伸ばしているようなものがよく売れるようになります。高度経済成長の、消費は美徳という風潮はときの総理、池田隼人の「わたしは、二宮金次郎ばりの勤倹貯蓄を国民の皆さんに強いるつもりではありません」に表れます。
車が増産され、歩きながらの読書は危険だということになったのも一因でしょう。
現代では本がスマホになり、薪がリュックに代わった若者が危険なのと同様。
修養という言葉と自由という言葉はどうも両立しないらしい。
しかし、英語でいうところのlibertyやfreedomと日本の自由は違い、自由は何かからの自由ではなく、自らに由ることで自由。すなわち自分自身であることが即自由なわけです。
伝統芸の型もまさにそうで、型にはめられているのは窮屈なようですが、縛られているままに自由である、本来はこういうことでした。
縛りが解かれ、金次郎像が大空へ手を伸ばす少年少女像へと変わり、縛りからの自由は手にしましたが、その手にはたしかな手ごたえはない。虚無感が漂い、閉塞感の蔓延する現代になっているのは見てのとおりです。
社会は右派と左派に分かれ、右派が強くなってきていると感じるのも、確固たるものを求めて回帰していると見ていいでしょう。国家は確かなものではないのですが、それに頼らざるを得ない。
左派は右派を否定しますが、右派の怖さを強調するのみで確固たる存在ではない。腹に力が入っていないと言ってもいい。
右派でも左派でもない、縛りの中の自由。国家主義でも個人主義でもない根拠のない自信。
個人主義ではないですが、これは個人において実現されなければならない。
二宮金次郎像は、働きながら読書をしている。いわば生涯教育の象徴としてみなされてもいいのではないでしょうか。
日本でこれほど流布している像はほかにはないでしょう。お金が好きでも、一万円札の福沢諭吉を実物を見ずにどれほどの人が思い浮かべられるでしょう。
キリストや釈迦などの宗教家ではない金次郎像がこれほど流布しているというのは、イコンとして非常に潜在意識に訴えかけるものがあるのだと思われます。
この本を読んで、現代を読み解く鍵が金次郎像には豊かに詰まっている。そう感じさせられました。
