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《古書・古本の出張買取》 ロバの本屋・全適堂 の日記

只管打坐(ただ坐る)

2013.11.11

毎朝夕行っている静坐について。

以前の日記で、正座・静坐について記しました。
http://zentekido.on.omisenomikata.jp/diary/40475

断食中に断食寮で静坐を行っており、戻ってきてからもそのまま続けています。
断食寮では、静坐する際に、静坐の辞というものを朗唱してから瞑目する。
どこかで目にしたものだとは思っていたのですが、帰ってきてから明治に出版された『岡田式静坐法』(実業之日本社)の巻頭にほぼ同一のものがあることを発見。
岡田式のどの本にも静坐の辞について言及しているものがなかったので、結びつかなかったわけです。

そこでふたたび、岡田式静坐法を調べていると、何と京都で今でも静坐会が行われているという。
創始者の岡田虎次郎が49歳で亡くなり、健康目的で静坐していた多くの人は雲散霧消してしまったらしい。
今、手元にあるこの本が46刷を重ねたベストセラーであることを鑑みたとき、世の浅はかさを思わずにはいられません。
静坐は結果的に健康をもたらすことはあっても、病気治しを目的に岡田氏は静坐を始められたのではない。しかし、古今の宗教の流行を見てもわかるように、賛同者の多くは病気治しを求めており、それがないかぎり、組織として成立することは難しい。

さっそく、静坐会に行ってみました。
岡田氏亡き後も、細々と続けられていたことに驚く。
伏見稲荷のすぐ南にあるラーメン屋の2階を借りて、集まったのは私を含め6人。
現在ではほとんど誰も知らないので、そんなものでしょう。
座布団を円にして、それぞれが向き合う形に。
参加者も主催者とその息子さん、40年来続けている方が二人、浄土真宗の後継ぎの若者が一人。流行した当時は、浄土真宗と結びつきが強かったようです。
休憩を挟んで1時間ほど坐りました。

静坐と正座はどう違うか。
形は大きくは変わりません。
ただ、坐禅よりは取り組みやすいと思われます。
足を深く組むので、坐禅のように坐布は必須というわけでもない。
静坐は静坐自体が目的で、健康や能力開発が目的となると、やはりおかしくなる。
静坐自体が目的というのは常識ではおかしなことかもしれませんが、常識こそがひっくり返っているものです。
岡田氏は「無為の国に静坐する」と言っていました。
どんなことでも静坐に寄与するので、その逆ではないと。「道を歩くことは静坐に効多し」とも言っておられたようです。
ただ坐るってなんのため? と普通は思うでしょう。
何のためでもない。このことを知るためにも、ただ坐ってみなさい(只管打坐)と道元禅師も言いました。

明治・大正と岡田氏と肥田春充氏、それから昭和にかけて平田内蔵吉氏(演出家の平田オリザ氏の祖父)が名称は静坐・正座・真坐と言葉は違えど、その伝えんとするところは一つでした。
戦後、腰原文化は廃れ、現在に至っています。とくに平田氏は天皇が世界を統べることを最上としていましたので、そういう点も廃れていった要因の一つかもしれません。
健康や能力開発などを目的とすれば、静坐もまた脚光を浴びることがあるかもしれませんが、静坐そのものだけでは当時と変わらず難しいでしょう。また、床に坐る和室自体減ってきていますし。

いちおう、静坐を含め、坐ることの参考になる文献を挙げておきます。
絶版もありますが。

『岡田式静坐法』実業之日本社
『岡田式静坐のすすめ』柳田誠二郎著 地湧社
『新版 立腰教育入門』森信三 寺田清一
『正坐法』平田内蔵吉 谷口書店
『正座と日本人』丁宗鐵 講談社
『坐る力』斎藤孝 文藝春秋


 師も弟子もなき只管打坐冬に入る

写真は達磨の起き上がりこぼし。
ただ重心があるべきところにあり、転がしても戻るべきところに自ずと戻る。これは静坐に通じるので、マイ師匠にしてみました。
宮城の職人が作った震災復興だるまということですが、不屈の精神とは用い方が真逆ですね。

只管打坐(ただ坐る)

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